[2023.48.7]
県会議員と市会議員の選挙を語ろう。年は取っても関心は薄らいでいない。
広報に記載された候補者の政策ぐらいは、すべて読む。理解する。
まず問題はない、あ、いや、そこに書かれた政策については、問題性を感じない。
でもそれだけでいいのか。
でも大問題が置き去りにされている、と私は感じたのだが、みなさんはどうか。
昨年2月24日、歴史的に明記すべき事態が、憂うべき事態が、忌むべき事態が、許し
がたい事態が、始まった。
ロシアのプーチンが、隣国のウクライナに「軍事侵攻」をした、ことを言っている。
軍事侵攻とは、表現をカムフラージュしているが、戦争を仕掛けたのだ。
え? 「軍事侵攻」と「戦争」、この二つの言葉に違いは全くないのか。
言葉には違いがあるが、事実には違いは全くない。ご飯を「めし」と言っても食べ
物に違いはないし、ジャガイモをポテトと言っても別物ではない、のと同じだ。
ロシアのプーチンは、ウクライナに向かって戦争を始めた。
問題は、戦争とは人命と文明を破壊する。ミサイルが撃ち込まれ、兵器を持った兵
士が乱入してくれば、人命は損なわれ、住居は破壊される。その他、無差別に破壊が
なされる。
高層住宅の住居が、学校が、施設が、この日以降、連日破壊され続けている。
忌むべき戦況について、私が語るまでもないだろうが、毎日、戦争の情報は過敏に
私たち人間をいら立たせ、良心を責め続けている。
何とかしたい、何とかならないのか、と。
さて、県の選挙公報には4人の立候補者の、市の選挙公報には6人の立候補者の政策
が記載されて配布された。
でも、これらの政策の中に、この忌むべき戦争に対する対処政策や平和を取り戻す
政策については、誰も何も述べられていない。
地方政治だからとて、この悲惨で理不尽な戦争が、今、進行していることを放置し
ていていいのか。
また、ほんとうにすることは何もないのか。
考えてもみるがいい。人間ってそんなバカではない。
もめ事があり、いさかいがあった時、人間は古来、どうやって来たか。
当事者で解決できればそれに越したことはない。だから先ずは成り行きを見る。
解決できそうにない時、周辺が介入する。口論で介入なら、
1=ちょっと待て。何が原因でもめてるんだ、と原因を明らかにし、
2=それなら「こちら」が悪い。悪い方からやめて、原因を解消しなさい、と助言。
3=どちらが悪いか、判然としないとき、「とにかくやめて、冷静になってから考
え直せ」と忠告する。
4=以上のどれもダメな時、次の三つ。A=力でカタをつける。B=周辺第三者が
どちらかに加勢して、決着を早める。C=周辺第三者が介入して、当事者の争いを力
で辞めさせる。
皆さんはこれらの選択肢から、どれを選びますか。
私は平和憲法下で育ち、戦いは極力避けたい。従って力で介入するのを好まない。
として、私たちにできることは、いさかいの原因を明らかにして、悪い方の反省を
誘い出す努力。
それでも止まらないときは、第三者の力で双方を抑え込み、冷静時の解決を誘い出
す以外に、取るべき方法はない。
いやいや、ちょっと待ってよ。
人類社会は、これらの方法をもうすでに持っているんじゃなかったか。
第一次世界大戦を経て、ある制度的取り組みができた。でも第二次世界大戦を経験し
てしまった。
日本も他人ごとではない。当事者だった。
まるっきり関わりを持っている大当事者だった。
二度と世界大戦をしない世界的な制度ができた、はずだった。
国連軍があり、国連で討議され、特に安全保障理事国までできている。
つまり、いさかいにが起きても、安全を脅かす国ができないように保障する担当国ま
で決めてある。
私を単純な人間だと呼ばないでほしい。私はただ素直に第二次大戦後の世界を見つめ
ている。そしてそこに存在する「安全弁」を、素直に観ているに過ぎない。
国連、安全保障理事国などは、すでにこの種の禍を防止し、避けるための対策システ
ムとして設置されている。
この度の「ロシア、ウクライナ侵略」に対して、このシステムはなぜ働かないのか。
国連加入のすべての国、国民、国主、自ら加入する国際組織が国際的危機に際して
今、何もしていてないのを、どう理解しているのか。理解してないのか。不感症か。
国連加入国で、安全保障理事国になっている国は、率先して安全を保障する行動を
直ちに起こさねばならい、のではなかったのか。
責任を感じないのか。責務を怠っては、制度を作った人類社会への裏切りだろうが、
理解できていないのか。
またこのような責務を負う国の国民は、自国が責任を自覚せずに自堕落な国に成り
下がっているのを、どうして放置しているのか。それともみんなが馬鹿になったのか。
せめて国連を再編成しようではないかと言い出さないのか。安全保障理事国を実あ
る真面目な国と入れ替えることを提案しないのか。
責務を果たさない制度は、無用の長物である。繰り返す、無用の長物国、自覚でき
ているのか。
さて話を戻す。
日本の地方選挙は、ロシアのウクライナ侵略、理不尽殺戮を知っていても、有権者
に何の方策も提唱しないかったのはなぜか。
方策を一つも思いつかなかったのか。方策はないと理解しているのか。
義を見てせざるは勇なきなり。大昔だって人間の良心はあった。なぜ今、地方議員
を志すあなた方には何も知恵がないのか。
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[2014.8.18]
敗戦後69年の夏である。繰り返す。日本が「敗戦」したのは69年前である。
そのとき私は10歳で国民学校の5年生。国民学校とは1934(昭和9)年生まれの私が
学齢に達したときに始まった学校制度(もちろん義務教育)であり、卒業した時を以
て終わる6年間だけ存在した学校制度である。
どこにか? 日本に存在した、と答えては誤りである。日本にだけではない。
当時の大日本帝国(台湾、朝鮮半島、樺太=サガレンの南半分を含む)にも、当時
の満州帝国(今、日本では旧満州と呼び、中国では偽満州ウエイマンジョウと呼ぶ)
にも存在した。
だから、私が64歳になってから住んだ旧満州には、「私は国民学校で学びました」
という中国人にしばしば出会った。
彼らは今でも日本人先生を記憶していたり、日本の歌が歌えたり、その頃を懐かし
む人もいる。
敗戦時に話を戻す。
戦争とはどういうものか。詰まるところ国家の紛争を解決するための暴力による
「殺し合い」を言う。
誰がか? 歩兵=銃剣を持ち、弾を撃つ。敵対する国の兵を撃って殺傷する、銃の
先に付けた刃物で突き刺す。砲兵=野砲、二人抱えで運ぶような爆弾・弾丸を詰めて
数百メートル〜キロ先の相手をねらい打つ。討伐、切り込み=日本刀を抜刀し、相手
軍と入り乱れて人を斬る。
等々が「最前線」と呼ばれる場所の「行為」だが、殺人行為以外の何物でもない。
戦艦や航空機による戦いも砲弾の撃ち込みが主で、個人をねらうより人間の集団
(兵隊、兵団、軍施設)を破壊し兵を殺傷する。さらには空襲となると、施設や都会、
人間社会を破壊し混乱に陥れる。言うまでもなく無差別に殺傷が行われる。その最た
るものが原子力爆弾の投下だった。
今から69年前、日本は上記のような「殺し合い」に負けた。つまり敗戦である。
第三国のアドバイスで殺し合いを休んだのでも停めたのでもない。
無条件降伏した。休戦でも停戦でもない。はっきり「敗戦」であった。
殺し合いの結果は負けだった。自らそれを受け入れた。「負けました。あなた方の
仰ることに従います」とミズリー号艦上で重光葵外務大臣が署名した。
私は事実を曲げない。
戦いの最中に悲惨、残酷な殺傷行為が不断に行われただけではない。
敗戦後の敗戦国民に何が待っていたか。
1、生活苦と言うにはあまりにもひどく厳しい生存の危機だった。食糧不足は命の
維持を危うくし、餓死者の続出。(少年の記憶としてもっともひどかった場所、東京
上野駅には私と同年齢ぐらいの少年少女が連日、無数に餓死している。
多分記録もあるまい)。住居がない。仮小屋さえなく防空壕で寝た人もあると聞く。
2、主に中国大陸から引き上げる日本人に、強奪者が襲いかかった。物取りに限らな
い。命が、操が奪われた。強盗と暴漢の隙をうかがっては東へと一歩でも逃げ延びる
日々を経験した人の数を知らない。気が付いたら背中の子が死んでいた、
やっと乗れた貨車から嬰児を捨てる親がいた、現地人に子を預けた、等々、悲劇は
まだまだ書き尽くされてはいない。
(1例="Over the Banboo Leaf"を読まれたい)
3、統制社会となった。食料を始め衣類など必需品、通貨通用制限。すべて統制下に
あってわずかの土地に藷やカボチャを飢えるなど食料の足しを求め、何とかして収入
を探し、合非合を問わずサバイバル生存行為をする。「闇」取引、闇相場、闇市etc
統制の網を無視し誤魔化す行為が横行した。
4、復員軍人、軍属が町に、村に戻ってきたが、ふさわしい職がなかった。経済はも
ちろん産業も疲弊しきっていた。復員したら恋人が他人に嫁していたのはいい方で、
戦死広報の間違いにより、妻が弟の嫁になって入籍していた例も多い。
1〜4をまとめて、「難民以下の生活」の時期であった。
難民「以下」とは、難民は国を捨てて逃げる。捨てようにも逃げるべき国はない、
状態を言っている。
さてこういう状態を体験し、難民以下の状態にある(私少年を含めた)日本人が、
明治帝国憲法、欽定憲法を廃棄し、新しい日本国にふさわしい日本国憲法を心から
受け入れた。とりわけ「もう二度と戦争はしない」との宣言がはっきりと高らかに
宣言されていたことに、老若男女、インテリから労働者工員、農民の誰に異存があ
ろう。
1946年の国会で唯一人、自衛権を残せと主張した人間を記憶する。吉田茂首相は
「かつていかなる戦争も自衛を称して行われたのであります」と口実すら作らない
平和憲法への賛成を求めた。国会ばかりでない。国民世論に反論も疑義も全くなか
った。
かくして日本国は「永遠」に「国家間の紛争解決手段」である「戦争を放棄」ま
たは「交戦権を放棄」した。
放棄とは権利放棄である。独立国に固有の権利、交戦権を放棄したのである。
国連が認める自衛権は「ある」とは、「放棄」の語意を理解していない。
じゃあ近くのナラズモノ国家が攻め込んできたとき、どうやって守るんだ? と
言う人がある。あるどころか可なり多くの人が言う。いやそういう人の方が、最近
は多い。
日本の憲法に答えてをもらおうか。
「交戦権を放棄したのですから、戦争という形でそれに対抗することはできません。
そのためにこそ、陸、海、空、その他の軍隊はこれを保持しない、と言っています。
その他の軍隊ですから陸海空以外に想定できる軍隊すべてを持たない、と言ってい
ます。そうするとナラズモノ国家に対抗できる手段は何でしょうか。
知恵を出して考えてください」 と。
私は対抗手段を<これ>しかないと認識している。
言論である。
そのためにはナラズモノ国家のナラズモノ性に気付いたときから、日本人の全勢
力を集めた言論で指弾し、国際世論を得て、ナラズモノを封じ込めねばならぬ。
それが成功して、初めて日本国憲法の先見性が証明できる。
また人類史に「誇りある地位を得る」とすれば、このこと以外にない。
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☆ ☆
世にウソがあることは人の知るところだが、この私でもじっとしておれない憤りを感じ
るほどのひどい代物には、そう数多く出逢うことはない。
でも気を付けていると、専門家ヅラをしてウソを平気で付くのがいて、それがいかにも
知識人ヅラをしていると、そのままには見過ごせなくなってしまう。
さて文学の作品にはすべて「モチーフ」があり、私の場合、上記の二項が格好の
モチーフになることは事実だが、厄介なことに、これを作品に仕立て上げるには、まだ
まださらに二項目もの難題がある。
一つは、「ツラ(面)」だけの専門家や知識人には、ほとんどの場合その自覚がない。
他人から指摘されてなお自覚に至らないのだ。
譬えて言えば、「そのオデキは癌ですよ」と指摘されても、(浅はかにしても知識があ
るのかないのか)「いいえ、これがほんとのエクボなんですよ。あなたはほんとのエクボ、
後天性エクボをご存じないのかね」……みたいなことを、自らも信じ、他人にも言ってい
るようなものである。
も一つは、それらの「ツラ」専門家や知識人を、信じて疑うことを知らない信奉者がい
ることである。
「先生の仰る後天性エクボとはね、善行を積んだ結果としてできるものなの。みんなもっ
と善行を積んで、後天性エクボの人を大勢見かけるようになれば、世の中って素晴らしく
なるはずよ」
と言いながら、(親切にも)癌を指摘してくださった人を「悪を憎む目」で睨んだりする。
従って私のモチーフは「似非(えせ)」者だけではなく「似非者信仰者」もターゲット
になるのだが、ここまでの説明では抽象論だけだから、「論」は分かっていただけても
「事柄」は理解いただきにくく、不消化のままで終わっては申し訳ないので、以下、各論
に入らせていただく。
グリム童話「赤ずきん」は、児童書コーナーに必ずといっていいほど置かれてある。
本には挿絵もあり、頭に赤い「ずきん」を被っている絵に出逢う。
ところで私の知る「ずきん」は、「おこそずきん」という江戸末から明治に用いられた
婦人の防寒用のかぶり物で、肩から頭部をすっぽり包むものと、太平洋戦争中(やその後)
に空襲に備え、火炎や落下物から守るために被った「防空ずきん」のことだが、辞書を見
ると、その他「大黒ずきん」という主に僧侶などが用いる「かぶりもの」も書かれてある。
また防空ずきんは、今でも「防寒用」として役に立てることがある。
そして以上のどれも肩から頸部や頭部を保護、防護している。
童話「赤ずきん」は、赤い「ずきん」が好きな少女を主人公とするストーリー、だとし
て本屋さんの店頭に並ぶことに疑いをお持ちでないお方が、今、この私の文章に向かって
おられるとしたら、先ほど私が申し上げた「ターゲット」である。
もちろんだが、かつて私も妻も「信仰者」だった。だからドイツのアルス・フェルトと
いう小さい町の小さい博物館で中世コスチュームの展示に出逢うことになった。
もう十五年も前のことだ。
博物館には中世コスチュームを纏(まと)った婦人の人形が何体か展示してあった。
髪型は、髪を頭上にまとめ上げ、丸い握り拳ほどにする。それに被せる袋(Kapchen)
には両側から紐が下がり、髪を丸くくるんでから顎の下で結ぶ。
だから、頭上には「球」があり、顎の下には結び紐の両端を数センチ垂らした姿を例外
なくどの人形もしていた。
さて、「赤ずきん」の作者、グリム兄弟は、少女の呼び名を「Rotkapchen」と記してい
る。
つまり、頭上の球状の髷を赤い布の袋でくるむのを好んだから、それが愛称になった。
「rot」は英語で言えば「red」、「kap」は「cap」で、接尾語の「chen」は「小さく可
愛い」ものを表すから「○○ちゃん」ぐらいの意味だろう。
「赤いちっちゃな帽子ちゃん」がその少女の愛称だった。
親の警告にも耳を貸さない「赤い髷(まげ)」の活発な子に、「ほら、こんな怖い目に
遭うんだから」と、この童話とともに教訓が語られている。
読めば分かるはずで、活発な少女の性格は、深々と頭部を防護する控えめな慎み深さと
はミスマッチを感じるはずである。
アルス・フェルト博物館で「目からウロコ」だった私たちは、この大発見を専門家の方
に伝えた。もちろん名古屋の某大書店の児童書を改めて確認してからだったが、ひとりと
して返事も見解も返しては来なかった。
少ししてから某新聞紙上に名作紹介の連載があり、「赤ずきん」の番になったとき、手
紙を送ったが、これもすべてがナシノツブテだった。
「いまさら変えられないのでしょう」と仰る方は、まだましな理解者だが、「まさか」と、
むしろ私を疑う反応をする人もかなりいる。
ある教育研究団体にも発表したが、編集者からも団体構成員からも「何も」ない。
二年前のことである。
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ウソは「ウソの顔」などしないで語られ、エセはいかにも「本物の顔」をしている。
だから始末が悪く、ダマされる人が続出する。
素人の私がごときが、それに気づいてから物を言っても、エセの「本物」から相手にさ
れないばかりか、その「信仰者」から攻撃さえ食らう。
物事の理非曲直は、調べる(観察)のと考える(考察)のとで大半は判明するものだが、
人はそれをなかなかしようとしない。
私に言わせれば、調べも考えもしないで、専門家であったり知識人であったりするのが、
すでにおかしいのだが。
フランス人の作曲家、ガブリエル・マリーは「La cinquantaine」という曲を作った。
日本では「金婚式」と訳され、ヴァイオリンを習う人たちがよく演奏するし、金婚を迎え
たご夫婦のお祝いの場でもよく演奏されるが、私の七十歳代の初めごろ、音楽の世界にも
ウソやエセがあることに気がつき始めた。
そのきっかけを与えたのは、オカリナ教室のインストラクターだった。
「インストラクター」ということばを今ここに使ったのは、ハイカラに言おうとしたので
はなく、その人の資質が教師とかリーダーとかのことばを当てるのにふさわしくないなあ
と考えたからだ。
「cinquantaine」には「金婚」や「金婚式」の意味などまったくなく、「ほぼ50」
とか「50代」などの意味だ、と私が疑問を表明しても、なんら反応を起こさなかった、
つまり、「まさか」反応をする類の人だったことによる。
仏和辞典は今、日本にいくらでもある。調べる気があれば、「金婚」でも「金婚式」で
もないことは容易に分かる。
だいたい五十年も連れ添った夫婦を言祝(ことほ)ぐのに、曲名「ほぼ50」の演奏では
失礼だろうし、La cinquantaineは名詞だから、軍隊・兵隊の量を示す単位に用い
られたりしている。
50人程度の中隊のことだと理解するが、「めでたさ」には縁もゆかりもない。
少々時間を掛けて辞書を眺めれば、近くには「Le cinquantenaire」という別の単語が
ある。
カタチがとてもよく似ているのが気になる。
「cinquant-aine」と「cinquante-naire」だから、
「オオモノトリ」と「オオトリモノ」ぐらいの差だろうか。
あるいは歌「故郷」の「兎追いしかの山」と「兎美味しかの山」程度の差かもしれ
ない。
前者は女性名詞、後者は男性名詞である。また後者には「第50番目」という意味もある
のを見ると、この単語を見誤った可能性も想像できる。
なお、フランス語には「金婚式」にふさわしい言葉が別にちゃんとある。
例えば「noces d'or とか l'aniversaire d'ore(金の記念日)」
等と言う。
作曲者はフランス国籍ではあるが、彼自身の民族では、この種の記念日をとても大切に
して祝う習慣があると聞いた。
語学にも音楽にも素人の私には、この程度しか分からないが、それでも訳語がふさわし
くないことぐらいは容易に分かる。
分からない人には、何か悪い偏見がありはしないのか。 ☆ ☆
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☆ ☆ [エッセーの部 3] 翻訳者の本分とは
☆
翻訳の話をしよう。
例えば、私の孫が「アバ、アバ」と叫ぶとき、嫁が「バスのことを言ってるの」と教え
てくれる。
つまり「孫のことば」の意味するところを(なるだけ)変えることなく祖父の私に伝え
る、それが翻訳という行為の本質であり、通訳者とか翻訳者は、そのような本質から外れ
ないように努力する役割を背負っている。
嫁のことばが、孫の意味するところとずれている場合、それは不適切な翻訳であり、も
し故意にずらしたりすれば、孫に対しても私に対しても背信行為をした
ことになる。
私だって下手だが、通訳や翻訳の役割を果たしたことは、数回ある。そしてそのいずれ
の回も、全身全霊で力を尽くしたのは、聴き(読み)取った異国語を、なるだけ原意に近
い日本語(やまたは異国語)に変換して表現しようと試みた。それ以外の記憶はない。
私に翻訳(や通訳)を依頼したのは、いずれの回も二人の弟たちだが、どの弟にも背信
行為をしなかった。いや、私の無知が無自覚にも結果的には、あるいは背信行為になった
場合が、多分、いくつもあるはずだ。
訳し間違いのことを言っているのだ。
なぜ力もないのにこんな努力をしたのかと言えば、古い表現だが、それが「本分」だか
らだ。
翻訳者(通訳者)の本分は、原意をなるだけ忠実に生かして、互いに相通じない双方の
コミュニケーションを図ることである。
私はそのように認識している。そしてそれだけではない。私にはそういうモラルがある
からだが、そのモラルとは、一般水準に比して特に高潔でもない。善良な常識人なら誰で
も身につけているモラルの一つに過ぎない。
ところで、私の言う「専門家ヅラ」や「知識人ヅラ」の人間がする翻訳に、上記のモラ
ルが欠如しているのを見るとき、私は例外なく憤りを感じるが、でも時には
「勝手に言わせておけばいい。いつか化けの皮がはげるさ」とも思ったりする。
ところが、いつまで経っても「ヅラ」を高く掲げる高慢なのがいるが、それらは決まっ
て信奉者やヘツライビトに取り巻かれている。
だから見方によっては、信奉者やヘツライビトは、「教祖」が自らの教義の誤りに気づ
くのを妨げている、とも言える。
いや、事実、妨げている。
最近の幼児教育論に、「かしこいね」とばかり子供を褒めると、賢くならない、という
のがある。
本人は「自分はかしこいのだ」と意識するから努力などしない。
だが、「がんばったねえ」と褒めていると、「努力すること」が評価されたと認識する
から、努力をするようになるとの調査結果が出されている。
信奉者やヘツライビトの「罪」は、だから、ここにある。
マルクスという偉大な学者がいた。エンゲルスという、これまた偉大な仲間の協力もあ
って、死後だが、「資本論」なる名著が世に出て、世を変え歴史を作った。
この続きは、私がごときが言う必要もあるまいが、言うべきことの、いわば「前置き」
として、略記しよう。
産業革命で悲惨になった、労働するだけが生きる手段の人々(プロレタリアート)が連
帯し団結し、その力で社会を支配し国家を運営し、必要に応じて働き正当に報われ、人が
人を虐げたり搾取したりしない社会、つまり社会主義社会へ、さらには共産主義社会へと
変革することを提唱した。それを「理解」して「労働運動」が確かになり、「封建専制政
治」を打ち壊し、やがて必然的に「資本主義社会」の破局へと、人々の動きを組織してい
った。
略記した歴史の動きは、日本の場合も例外ではなかったことを、誰もが知っている。
そしてそれが、マルクスやエンゲルスの願い通りの歴史展開にはならなかったことも、
善良な常識人はよくよく知っている。
現代時点で人類を三つに分けてみようか。
1、圧倒的多数の、なんらの関心をも有しない人。
2、かつてこれが「社会主義」だと聞かされたが、事実は人権も生活もまったく大事にさ
れなかった経験から、あれは大きな間違い、大きな迷惑、大きなウソだった と認識してい
る人。
3、未来に「社会主義」、「共産主義」の実現される日が必ずあると「信じ」て活 動を
続ける人。
3に該当する人は、21世紀の今、世界ではきわめて少ない。でも日本にはまだ健在で
ある。
日本の善良な常識人がもうあまり関心を寄せなくなっているのにもかかわらずまだ健在
である。いや、「健在」の表現はよそう。残存している、と言い替えよう。
でもここ数年は、その道筋を大言することは少なくはなったが、自らの結社の綱領には
それをうたいあげている。
「売り家と唐様で書く三代目」とは、江戸の川柳だが、私には日本のその種の人たちをも
揶揄しているように思える。
つまり「唐様で書く」プライドを捨てきれない人か、あるいはプライドに囚われている
人に思えるからだ。
2011年の2月8日、「しんぶん赤旗」に注目すべき3記事が掲載された。
「注目」の意味は、ここでは「頭に来る」に近い。ここではなぜ「頭に来た」のかは詳述
しないが、評論の部に「編集のセンス」を公開したから、是非とも読んでいただきたい。
「唐様」を書く人のセンスが善良な常識人とかけ離れていることに業を煮やした私の評論
だが、名古屋民主文学のお歴々がどのように批判したかも、とても印象に残っている。
その一つは、いわゆる「愛知トリプル選」が2011年の2月6日に行われ、共産党の推す
知事候補も市長候補もともに供託金没収という粗末な結果しか出せなかったのだが、報じ
る署名入り記事のセンスに私の憤りが向かったの言うまでもないが、その記事の2倍半に
も及ぶ「唐様で記された」記事が同日の紙上にデカデカと記載されたのを見て、その
「ヅラ専門家」を看過しがたくなってしまったのだった。
それは資本論中の「Hindernis」ということばを、「バリケード」と訳したペンネーム
不破哲三が自ら「適訳」だと述べた記事だった。トリプル選挙の重大さの2.5倍にも相当
するとのセンスも(バランス感覚)もばかばかしいが、この「翻訳」の中身にはそれ以上
に看過しがたい不遜さを見出したからだった。
「資本論」を日本語訳したお方は数多い。訳本にしたお方だって十指に余る。
第一部第8篇第8章に労働時間を述べていて、産業革命以降、安価な労働に歯止めがき
かなくなっていたのを、マルクスが資本論を書くころ、やっと10時間を越える労働を禁止
する労働法ができた。
同時に年少労働を禁止する法もできている。
マルクスは労働者を鼓舞して「これを社会的なHindernis」にするのだと述べているの
だが、不破哲三の「迷訳」の前に「Hindernis」を「バリケード」と日本語訳した学者は
ひとりもいない。
これは事実だし、これこそが「まっとう」だと私も認識している。
「適訳」だと自ら誇れる「人格」も、どうかとは思うが、それは人品の問題でここでは
論じないが、でも「Hindernis」を「バリケード」と訳すことを、私は黙ってはおれない
のだ。
他の学者先生は、「障害」とか「障害物」とか訳している。「資本論」のフランス語訳
では「barriere」となっている。
かのゴーギャンにも「La barriere」というタイトルの絵がある。見れば、柵がある。
「バリケード」はドイツ語の「Barrikade」で、とくに語意を問題にする語でも
ない。
フランス革命では至る所で「barricade」を築いた市民が戦ったし、英独の労働争議でも
「barricade」や「Barrikade」が築かれた。
そして、この言葉が「そのまま」日本語の「バリケード」になり、今日、使われている。
マルクスは資本論中、問題の語の付近にいくつも「Hindernis」の語を用いている。
彼の脳内の言語領には、何らの苦痛なく表出する言語の「Barrikade」があった。
けれど、彼自身は自著に「Barrikade」とは書かなかった。
問題は実に単純である。
原作の原意は「Hindernis」であるのに、これを「バリケード」と訳すとは何事だ。
さらには「適訳」だって?
さらにさらに、2000字にもわたって「適訳」論を述べるとはどういう心得か。
しかも「愛知トリプル選惨敗」報告記事の2.5倍もの文量で。
その記事には惨敗の表現もなく、協力者へのお詫びも感謝もない。もちろん敗因に触れた
分析もない。中身のない空疎な記事なのに当日の紙面に2.5倍の不心得記事が威張っていた。
「マルクスは生きている」だって?
もし生きていれば言うだろうよ。
「君ね、私がHindernisと書いたのをBarrikadeと訳したそうだが、どうしてかね。
しかも、それが適訳だって言いふらしているじゃないか。あそこにBarrikadeを使うのがいい
か悪いか、それは私の決めることだよ」と。
世の中に翻訳の本分を弁えない人間が一人いても、さほどの問題ではない。
だが、問題は、名古屋民主主義文学に集まる人の中にも、「時代的状況にふさわしい訳語」
だと理解して、私にひたすら反論した党員がいた。
そういうのをの信奉者と言い、ヘツライビトと称する。
どうして自分で辞典を開かないのか。そして自分の頭で考えないのか。
マルクスが「Hindernis」と書いていることを、「Barrikade」の語意に置き換えることは、
マルクスにも読者にも背信行為であるとは、どうして考えられないのか。
当たり前のことを、当たり前の見方で考えようではないか。これは特に知識人でなくても、
善良な常識人ならたいていの場合、こうしていることなのだ。
分からない人は、人格の基本とは何かを考え直すといい。
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☆ ☆
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サブプライムローンに始まる世界金融危機のことを、今はリーマンショックと呼ぶ人が
多いが、その理由を私はよく知らない。だが、ある種の憶測はある。
2007年末、すでにサブプライムはいくつもの金融機関を大きく蝕んでいた。
農林中金は1400億円の、野村證券は900億円の、それぞれ損失がインターネット情報に流
れていた。
数字というものは物事の巨大さや微少さを感じさせにくくする毒素をもつ。
1億円とは大人が手に提げるには大きすぎるし、声でカウントすると1円から1億円まで
は一生掛かっても数え上げきれない、ほどの量である。個人感覚では無限に近い巨大さだ。
2008年5月18日、田原総一郎が共産党の志位和夫と対談した。
マスコミ(サンデープロジェクト)に取り上げられたのを喜んでか、共産党は対談全体
を文字に起こして翌19日、しんぶん赤旗に記載したから、内容を知るにも便利だし、ごま
かし嫌いの人には確かな証拠を得たことになった。
対談中、田原氏が「日本では損害が出ていないのだが」との前提で、資本主義の動向を
話しているとき、志位氏は、事実認識の違いを指摘するでもなく、またそれが日本に波及
する予想だにしていない。上記に私が紹介したような農林中金や野村證券の驚くべき損失
が目に入っていない。
※このやり取り部分、末尾に示す。
これは、資本主義社会の変革を目標とする政治家として、鼎の軽重を問われる認識だっ
た。
この年、私は「しんぶん赤旗」へ9通もの同趣旨(ほとんど同文)を送っている。
内訳は8回目にして初めて回答があり、よけいに不審が募った私は、さらに9通目を
送った、というのが事実である。
その後、なんの回答も見解もない。
問題はこうだった。
赤旗経済欄の同一紙面上に、
A「サブプライムローン(アメリカの低所得層向け高利の住宅ローン)」と、
B「サブプライムローン(アメリカの低信用層向け高利の住宅ローン)」との二とおり
の表現が併存するのを発見したことから不審が始まった。
※A、Bは私が付けた。
同一日付の紙面上で、先ほど読んだ記事には「A」と書かれ、少し後の記事には
「B」と記されてある。
なんだ、これは!?
世界の金融界を揺るがせるほどの重要事を報じるのに、いや、「どこよりも真実報道を
する」と自称するのに、なぜ二とおりの説明があり得るのか。
ほんとのことが分かってないんじゃないか。
「低所得」と「低信用」との意味は、どちらでもいいほど似てもいなければ、類義語でも
補完語でもない。
編集者や記者に「サブ」「プライム」「ローン」のことばについて、はたして相当する
認識があるか。もしあれば、このような二とおりのことばはあり得ない。
つまり「プライムローン」を借りるに値しない理由があって、
「サブ=(正式・首位のものにつく対して)控えのもの、次位のもの」の付く高利の住宅
ローンがあり得る。
早く言えば、過去にローン返済で瑕疵のある人には、通常金利では貸せないから、
高金利で貸す、というローンだ。
ことば(英語)だけでも、「低所得層」説明はピント外れであると容易に分かる。
事実、少し米国市民生活の実態を調べれば、そこはカードローン社会で、返済に失敗し
た(いわゆる瑕疵のある)人がいくらでもいる。そういう「信用を失っている」人は高金
利でしか住宅ローンを組めないことに、どうして思いが至らないのか。
これを金融の側(貸す側)から数字だけで表現すると、
「この融資には高金利が生じる」となる。
事実、そういう見方が広まったから、「運用」するに際して「サブプライムローン」を
組み込んだ「金融商品」が多くなった。結果、2007年から住宅の値上がりが停まったこと
も災いして、「返済」が滞り「運用」が悪化し、「デフォルト」を起こすようになった。
繰り返すが、2007年末、農林中金も野村證券も巨大過ぎる、いわゆるgigantic moneyの
損失をすでに出している。
この新聞は「サブプライムローン」の理解ができてない、と私は思った。
案の定、メールを送っても返事が来なかった。「hensyukoe」という読者の意見を受け
付けるメール窓口が「ある」。
でも、私のメールは読まれたのか読まれなかったのか、どこかの部に回されたのかどう
か、あるいは、放置されたのか、いずれとも分からないから、8度目は同文を「中央委員
会経済担当者」へも送った。
そしてやっと「手紙」と「返事」とをもらうに至った。
その結果は、語るだけでも、憤りが再現する。
手紙の主旨はこうだった。
「私たち(編集者側)は[低信用者向け〜]との見解であるから、記事にそう書いている。
だが、外電(時事通信)は[低所得層向け〜]としているので、そのように書いている。
よろしくご了解のほどを」、
とあった。
読者のお方で納得いただける人が、もしおられたらお知らせいただきたい。
私が納得どころか「アホヌカセ」と憤った理由をNo付きで申し上げる。
No1 真実報道を称するこのしんぶんに、同一の物事に対して二つの見解が併存していい
のか。
真実報道の[真実性]を疑う。
No2 外電から配信の文章を受けるとき、そこにそのような[ ]付きの説明があるのかないの
か(それとも貴紙が付けたのか)は知らないが、貴紙が真実としない見解を平然と掲載し
て疑念はないのか。
No3 同一物に二つの異なる説明が付けられるとき、
…例えば同じ粉ミルクに、 一方に「乳幼児用」、もう一方に「幼児用」と表示すれば、
利用者は両者に差異があると認識する。
この常識とあなた方の表示方法とはどう関係するのか。無神経さに驚く。
No4 外電は時事通信以外にもあり、「低信用者向け〜」との見解を有するところもある。
貴社と見解の異なる見解を敢えて記載するのはどうしてか。
また、外電の時事社と見解について議論を闘わすとか、なぜしないのか。
あかはた新聞へ向けて発した9つ目のメールは、およそ以上のとおりだったが、返事や見
解はまったく返っては来なかった。
私の見解を述べよう。
この「しんぶん」、この政党は「サブプライムローン」とは何かを知らなかったのだ。
そして私は単にこの経済関係語の無知について憤っているだけではない。根は、それに比
すべくもなく深いところにあった。
そもそも共産党とはいかなる政党か。素人の私が説くまでもないのだが、素人でも言わね
ば済まぬほど劣化しているからだ。
資本主義社会は、自ら有する矛盾の深化により、必然的に破局にいたり、ついには社会主
義へと変革を遂げる。弁証法的唯物論、史的唯物論の示すところだ。
だが、この歴史科学の法則による変化を坐して待ってはいけない。自ら自覚し意識的に変
革をもたらし遂げるその前衛をなすのが共産党である……との旗印を掲げ、党勢の拡大に日
夜励むのは、すべてこの使命達成のためだとは、誰が言っているのか。
「立て 飢えたる者よ、今ぞ 日は近し……」と「はらから」に呼び掛けて唱い、70年代
の遅くない時期に「民族民主統一戦線」が成立し、それを基礎に自主独立日本の社会主義化
が達成されていくと展望を示した。
それを今、信じるも信じないも、もうどちらでもいいが、資本主義がどこまでも続くもの
ではない。必ず自滅する、との法則…法則と言うからには必然の成り行きを表すのだろうが、
そうまで言い切った資本主義が、今や「サブプライムローン」をきっかけに大きくつまずい
た。だから「ショック」のことばが付く。
日頃よく耳にする金融市場は暴落し、金融機関は危機が見舞われ、金融資本に巨額の損失
が生じた。
繰り返そう。「資本主義」がつまずき、よろめいたのは、サブプライムローンショックに
拠るものだった。
社会主義を志向する(と自称する)方よ、分かりやすく言おう。
あなた方が「法則」と信じ、予言した「その日」が今、正に始まろうとしているのではな
いのか。
先進国の巨大マネーを巨象になぞらえるならば、今、巨象はよろめき、うめき声を上げて
いる。終末を思わせる病を患っているのではないか、とあなた方は診断するはずじゃないの
か。
でも違っていた。君たちは象を的確に観察するなどせず、病いを疑うことさえしていなか
った。
“Dr.do little”は医者としてはダメでも、この上なく素晴らしいヒューマニストだった。
でもあなた方は、この語の直訳どおりの、[無能ドクター]だと私には思えるが、どうか。
過剰生産、失業、不況etc.etcと、資本主義は行き詰まり現象を見せているとき、苦肉の
策として案出された借金経済(カードローンなど)……経済力の実態がないのに[あるかの
ように意識させる]仮想の経済世界を創り出し、それで資本主義の終末を敢えて引き伸ばし
ている。
橋に譬えようか。橋はもう渡り終えたのに、ある「手立て」で人に「まだ橋はある」と
思わせている。
言葉を換えようか。
現物や現金でする経済を実体経済とする。
すると現代のこの社会で成り立たなくなるのは何と何と、何と何と、何何ですか。
私の言う<あるかのように意識させる仮想の経済世界>を理解してくれましたか。
もう一つ。
この見方は、私が創案したのではない。立派な経済学の先人がいて、終焉に起こるはず
の忌まわしい現象をも洞察している。
素人の私に言わせないで、「ヅラ」だけの格好を辞め、真面目に科学するだ。
※参考(しんぶん赤旗に再録された記事の部分)
田原 そこで聞きたいんですが、実はそのサブプライムローンの影響は、日本はほとんど
ありません。
サブプライムローンでやられているのは、やっぱりアメリカとヨーロッパなんですが、
日本にはほとんど影響がないんです。にもかかわらず日本の株が、ドーンと下がってい
る。一番の震源地はアメリカなのに、ニューヨークの株価よりも日本の株価のほうが
ドーンと落ちている。なんで日本がこんなにダメなんだ。
さらに、ちょうど去年八月以来、つまり自民党が負けたときから、外国人の投資家が
どんどん日本から逃げていっている。どうも日本を見捨てているんじゃないか。
なんで、こういうことが起きるのか。
そういえば志位さん、実はこの一人当たりのGDP(国内総生産)で、OECD(経済
協力開発機構)のランクで言うと、日本は九三年には二位だったのに、いま十八位に
まで落ちている。ドーンと落ちているわけです。それから、実はこれは世界経済フォー
ラムが出典の国別競争力では、日本は八位です。技術、情報技術競争力にいたって
は十九位で、もうドーンと日本は落ちている。これは何でなんだろう。
志位 (日本の)株が落ちたことについていいますと、直接的には田原さんがこのフリップ
(外国人投資家の株式売買動向)を出しましたが、外国人投資家がどんどん売った。
大体いまの日本の株式市場の(売買の)六割ぐらいが外国人投資家ですが、この人
たちは短期の株の売買で利ざやを稼ぐという動きをするわけで、この人たちが売った。
これが直接的な原因だと思うんですが、問題はなぜそういう売りが出たかということで
す。根本を言えば、日本の経済が、“外需頼み、内需がないがしろ”になっている。
(田原「つまり輸出頼みね」)輸出頼みになっている。つまり「成長」というが、伸び
ているのは輸出なんです。「繁栄」というが、繁栄しているのは一部の輸出大企業
なんです。それで、経済の五割以上を占める家計消費をはじめとする内需のほうは
低迷している。つまり内需を犠牲にして、外需を強くすればいいというやり方が行き詰
まった。
(田原「ずっとそれできたの日本は」)ずーっとそれできたんだけれども、とうとう
それが行き詰まって、そこを見透かされる。
つまり、そうなると、アメリカのほうでサブプライム(問題)が起こる。アメリカの
市場が収縮する。
そうすれば輸出が危ないぞということで、パッと逃げていくという状況だと思います。
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☆ ☆
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☆ ☆[エッセーの部] 5 報道のセンス ☆
(2012.8.「しんぶん赤旗の3記事」、愛知の選挙、陸前高田市長選、Hindernis訳語...の感性)
2010年、「市長による市議会リコール」という政治手法を、私は初めて知った。改めて
民主主義の意味を考え直したりした。
名古屋に移り住んで一年足らず、型破りな政治手法に対応する市民の動きに私の実感は
ついていけなかった。
市議会解散リコール請求に署名数が達した段階になっても、まだ事態を信じきれないで
いた。
選管の念入りな点検作業を経て、世に言うトリプル選挙、つまり「市議会リコールの是
非」、「自ら辞めた市長を選び直す」、及び「県知事選」投票を同時に実施することにな
った。
仕掛けた側は、地方から新風を起こし、議会運営の在り方をいったんご破算にするとの
趣旨を表明していたが、民主主義に対する挑戦ではないのかと私はその事態を危惧してい
た。
また市議報酬半額化と減税とを掲げる「新風」の政策に、各政党はこぞって反対してい
た。
共産党や「革新県政」勢力は、県知事には土井敏彦さんを、市長には元参議院議員の八
田ひろ子さんを立て、選挙に臨んだ。その選挙運動ぶりに就いてここに感想を述べるのは
控え置くが、2月6日、結果が数字となった。
市長選で八田さんは5候補中の最下位、知事選の土井さんも4候補中の3位に終わり、
ともに惨敗落選しただけでは済まなかった。供託金没収という世評で泡沫候補と認定され
ても致し方のない結果になってしまった。
現代政治の動向の中で、この異色の選挙が示した結末は、もはや細部を分析するまでも
なく、共産党系政治勢力にとって将来を展望するにはあまりに暗いものだった。
他方、これと同時進行で陸前高田市では市長選が争われていた。一ヶ月後に起こる希有
な大災害を誰も予知していなかったのは言うまでもないが、「新しい陸前高田をつくる市
民の声」の戸羽太さんは自民党や共産党議員の応援を受け、民主党小沢路線の菅原さんと
せめぎ合っていた。
そして同じく2月6日、戸羽さんが勝ち鬨きを上げる結果を得ている。
私は名古屋に住み、ここで情報を得る。現代は情報源に事欠かない。その気にさえなれ
ば、半世紀前には遠方の出来事としか意識できなかった事件でも、今やまるで村内の出来
事のように身近に感じることができる。
高田市では自民と共産が力を貸し合って戸羽市長を選び得たし、愛知・名古屋では異色
の新風が地方政治をリードし、共産党「推薦」の二候補はともに惨敗に終わってしまった。
さて、翌々日の2月8日、しんぶん赤旗はこの両選挙を、二つの記事を以て全国に報じ
た。
私は、まず問題を提示してから話すのが好きだが、あなたがもし編集担当者ならどちら
の選挙結果をより大きく取り上げるだろうか。
ここは「しんぶん赤旗」、つまり共産党の機関誌でもある。当然、名古屋、愛知の異色
さを解明し、悲惨な敗退を不屈の記者魂で記述するだろうと、私は期待した。
第二面に、二つの記事があり、上部のは陸前高田市長選の記事で、下部のは名古屋・愛
知トリプル選の記事であった。
そして名古屋、愛知の記事よりも陸前高田のは、文章の量が二割ほども多かった。つま
り、この新聞の編集は、この日、読者に報じるべき地方選挙結果が、第一に陸前高田市長
であり、それに次いで名古屋、愛知のトリプル選挙惨敗結果だ、というニュースバリュウ
感覚を、言い換えれば編集のセンスを持っていたのだ。
さらに言えば、陸前高田市の記述では自共協力の成果だった事実にまったく触れていな
かったし、名古屋、愛知ではともに供託金を没収されるほどの泡沫候補に堕ちてしまった
記述などどこにもなかった。
愛知・名古屋のは署名入りの記事である。
事の本質を的確に書いてもいないのに、両者の軽重だけは、文章量で明確に示してあっ
た。
読んだ私の不満は、くすぶり始めて数分もしないうちに爆発してしまった。
というのは「学習のページ」に、これら選挙記事とは比較にならない大きな囲み記事で、
マルクスの論中の「Hindernis」という一単語を取り上げ、これを「バリケード」と訳した
のは、かつてない「適訳」であると、書き手自らが吹聴する大記事があったからだ。
学習を重視することを否定するつもりは私にはない。
だがこの時期のこの日に、名古屋・愛知の約2倍もの文章量で読者に「一訳語」を講釈
する「ゆとりのある」センスを、私は許せなかったから、私にできる精一杯の表現行動、
つまり抗議文を書くことにした。
マルクスの時代に「Barrikade」なる単語は一般に通用している。フランス語はもちろん
ドイツ語でも、労働者の闘いを描写するのにしばしば用いられた単語であった。
でも、マルクス自身が、「Barrikade」ではなく「Hindernis」を用いて論じた部分を、
「バリケード」と訳すのがなぜ適訳と言えるのか、私には理解できない。
これでは適訳どころか、原作品より訳者の意図や好みが優先されている。つまり、翻訳
の常識を逸脱している。
それだけではない、惨敗に終わった結果、泡沫候補と酷評されるに至った名古屋・愛知
の候補者や、協力をくださった有権者各位に、真摯に接している報道としての資質をも疑
わせる編集センスでもあった。
信なければ立たず、とは、論語の名言である。
乱世にあって、為政者がもっとも重んずべきは、兵力でも食物でもなく、「信」だ、と
孔子は断言している。
この日、しんぶん赤旗の選挙総括には、なぜこんなにも信が得られなかったかを、最重要
なテーマとして書かれるべきであった。
省みれば、さきの参院選惨敗の教訓は、誰の、何のためのものだったのだろうか。
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☆ [エッセーの部] 6 「グルメじまい(Le Terme de Gourmet)」 ☆
☆ [PartT 原有の味] ☆
母親が味には贅沢で繊細だったから、いくぶん味知識に豊富な人間に育ててもらってい
る。
結果から言えば、美味しい物をいつも楽しむことができる。ただし、年を取ると、(も
う78歳になるが)過食の弊を避ける必要から、三度の楽しみを一度に減らしてはいるが、
それでも人様に勝る健啖家でいられることに満足している。
ずいぶん楽しんだ中で、やはり地域性との関係で珍味や郷土味が楽しめたのも、人様以
上にいい経験がある。他の文学ジャンルでなら、自慢にならぬようにさりげなく書くのだ
が、ここではズバリ書く。
その第一歩が、志摩高校時代にある。海の幸にもそれぞれ旬があり、下宿させてもらっ
た銅坂長之助さんは、娘さんが渡鹿野かどこかの有名ホテルに嫁していて、
「シェンシェ、もづく、どうやイン」、
「はまち、どうやイン」
「今年の牡蠣、おおっきいの、どうやイン」と、娘さんから届けられるたびに、私もご相
伴に与った。
もちろんだが、賞味させていただきながら、もづくについて蘊蓄を傾けられる。
「採るる時期も勿論やがノ、どれくらいの塩でどう揉むか、ちょっとコツが要るのサナ」
黙ったままの賞味ではない。その話は22歳の若かった私にとって、そこいらの何タラ教
育講習会なんかよりずっとずっと「教育的」で「陶冶性」に富んでいた。
ノートを取るわけでもない。だが、味覚に聴覚、これ以上の地域性はあるまいと思われ
ることばが私に深い印象を残すのだった。
このお宅で日々の食事をお世話になってはいなかったのだが、こういう賞味は、必ずご
相伴に与った。
それは長之助さんの郷土自慢であったからだろう。
海の幸ばかりではない。晩秋、11月も半ばを過ぎると、まだ餅搗きには早いのに、庭先
には竈が設営され、大釜の上に大きなセイロが数段積まれると、早朝から湯気を噴く。蒸
気の上がったセイロからは藷が取り出され、いったんは熱湯に入り、そして冷水(常温の
水)に浸される。その後すぐ皮がはがされると、口にくわえた麻糸で金色の薯をくるんで
は、締め上げ、糸切りの甘藷がロージの上に並ぶ。ロージを庇から上げて屋根一面に並べ
詰めると、辺りは藷の匂いに満たされる。
そういう行事の数日後には、
「シェンシェ、いま、ヤワカイでいちばんうまいンやに。ほしいだけ取ってカンセ」
干し上げて、缶に詰め、粉を吹いたカンソイモももちろんだが、この、いわばナマボシ
藷も抜群の味を持っていた。
初めは、遠慮深く、やがては一度に5つなどと、ボケットに頂戴したのを思い出す。
近くにもと村長とか、息子の英語を見てほしい、との付き合いから、この子と鮎釣りを
したのも、以後、二度とない思い出になる。
鮎は6月のある時期までは、苔を食べない。虫を食べるので、毛針にいやしいほど食い
ついてくる。まるでトンボ釣りのようだった。この子が私の3倍は獲り、私はコツを会得
するのに熱中した。
その夕べ、土方弁当にいっぱいの塩焼き(小振りの鮎だから骨も頭も問題ではない)を
持ち帰り啓子と、「もうええか」、「もうええわ」と言うほど食べた。
大きく話が飛ぶが、(中国の)延辺で松茸を、ちょうどこのときのように飽きる寸前ま
で食べたのも人生の自慢だ。
延吉には、しょっちゅう市が立つ。そこで買った珍しい物は、それこそ文字通り、枚挙
にいとまがないが、松茸は、可哀想にも数センチのまだ傘も大きくなっていないのを、日
本人が珍重すると「誤解」して、いちばん良い値で売っている。それでも200円も出せば
十分だが、私は買わない。彼らが輸出物にはならないと「誤解」している傘の大きいヤツ
を「負けたら買うぞ」と交渉して、150円も買えば、バスに乗るときに手に持った荷物が
誰かに当たりはしないか、傘が欠けはしないかと心配が絶えないほどの量。帰って新聞紙
いっぱいに広げ、石突きの土を除いて、さあ、どうしょう。用務員室に電熱器がある。
借りてきて、焼いた。
あれはしずくが出るほど焼いてはいけない。ジューと鳴り始め、しずくが出る手前で皿
の醤油に取り、割いてはすぐ食べる。香り、歯触り、少年時代の思い出もあれば、食の天
国の味わいもここにはある。
新聞紙いっぱいの松茸をすべて焼く間には、中国の安物ニクロム線が二度も切れ、繋げ
ば、その分、短くなるから、オームの法則に従い、熱はさらに高く発するようになる。
ご飯なんかどうでもい。焼き松茸を食べに食べた。強いて言えば、醤油が日本産ではな
いのが残念だったが、それくらいの小事など圧倒する味覚だった。
このグルメを二度経験している。
輸入松茸の、中国、韓国、カナダ産などは、張り合いが無いなどと日本では言うが、私
はかつてふるさと赤尾の山に自分でも採った秘密の場所もあれば、経験は人に負けない。
その五感で触れ、食した松茸は、五位谷やワラビ谷、その向こうの、もし詮索すれば伊坂
の山かに生えるものと、全く差違を見いだせなかった。
大学の裏山で採った大量のイグチ(すどおし、いぐち)の話は、ここでは割愛。
また、長い年月をすっ飛ばそうか。
今年(2012年)はドイツから北上する旅をしている。私のは個人旅行だから、その土地
の食生活を味わいながら旅をする。だが彼らの食感が、ほんとうはどうかは知らないが、
けっこううまい物を楽しんでいるように見受ける。
ただし、健啖を言う前に、ヨーロッパには食についてきわめてストイック(禁欲的)な
考えの残る部分があることを忘れてはいけない。
そういう人に最初出会ったのは、パリだった。中皿に梅粒大の茹でジャガイモ、20個ば
かり。それ以外は何もない。そんな質素な昼食を、レストランで注文する。
私たちの隣に座ったが、さぞかし異国人の食が量も質も「贅沢」だと感じたことだろう。
また西欧、北欧には、満腹を罪悪視する人もいる。平日に「食を楽しむ」ことを自らに
禁じる人もいる。ドネイト(donate)といい、他人に恵み与えることを忘れない。宗教心
とは本当はこういうものだろう。
最近は、日本にもタイガーマスクのランドセル行動がある。今日本にあるどんな政党の
政策よりもすばらしい行動であろう。
ヨーロッパではなんといっても、ハム、ソーセージ、チーズの類がおいしい。種類の多
さは、試しきれないし、したがって書ききれない。
でも、ホテルの朝食で、欲張って数種を取ってきては味わうのだが、たぶん、その発酵
のさせ方とも関係があろうし、塩加減や調味料、香辛料、未知の手法もあるのだろう。
なんど味わっても、分析しきれぬ微妙な「もの」を内包している。
ただ岩塩が美味しいのは、地域性とも関わるのだろうし、ミルクや肉もまた地域の気候
とその飼料としての草との関係、薫製ともなれば、燻す樹木の違いもあろう。
ドイツの最果て、バルネミュンデでつまみ食いをさせてもらった薫製は鴨肉。
「何で燻すの(what somke)?」と尋ねると、ロッカー一人分ぐらいの薫製器と隣の薪入れ
の缶を見せて、薪の材料の木を説明してくれたが、私の知らない木の名。
申し訳ないが、日本の薫製なんか「あれ」にくらべれば、煙たいばかりに思えた。桜の
木(のチップ)もいいが、今見る日本の薫製には、桜の木も使ってない。カナダかどこか
の軟らかい木であることが、この鼻と舌ではすぐ分かる。
話は変わるが、「炭焼きコーヒー」と銘打った焙煎の香ばしいコーヒーを流行らせはじ
めたころから、今に至るまで私には不満がある。
「煎りすぎ」をそう称しているに過ぎない。[香ばしい]と[焦げ臭い]とは相通じて異質。
私は啓子といつも話をするが、「炭焼きコーヒー」を「炭焦げコーヒー」と言い換えて
いる。
そんなのをFresh Milkで誤魔化して飲ませているが、私たちは好まない。安くても心得
た焙煎をするところでゆっくり楽しむのがいい。
私の祖母はおいしいお茶を「淹香がええ」と表現した。そいういう味覚も嗅覚も、そし
て視覚さえも美しく刺激する総合的な感覚表現を持っていた。最近の単純な貧弱表現に不
満を感じるのも、血筋の伝えるところだろうか。
※「えんかガエエ」は、いまでも山口県では時々聞かれるらしく、インターネットの世
界ではしばしば原義が質問されているようだが、「嚥香がいい」に違いないと、どこかの
[物知り]さんが答えているが、眉にツバ。
「嚥下」するときの「香り」を楽しむものかどうか、お茶の通ならずともすぐ判別できる
はずだが。
私は「淹香がいい」に違いないと信じている。「淹」は「お湯を茶壺に満たし、そこへ
茶葉を浸す」の意味で、実体に合う。
「お茶をいれる」は「お茶を淹れる」と表記したことからも傍証が得られる。
その道の専門語である。
脇へそれた。
日本と意外に関係の深いノルウェーのベルゲンへこの5月(2012年)に行った。
海産物がかなり日本への輸出用にされていると見た。ただしこの海洋民族は、さすがに
ヴァイキングの子孫、同じく海洋大和民族とは、相通じるところと、異質なところとを併
せ有している。
日本は、海の生の素材の味を楽しむ。(三国志=魏志=倭人の条には「素潜りで海の幸
を獲る海人たち」を見聞している)
彼らにもそれ(生食)があるに違いないのだが、市場にはない。どれにも妙な味や匂い、
変わった姿に調味されている。久方ぶりに食べた鯨肉なんか、スパイスなどをたっぷりと
纏っており、白、黒、茶、赤、その他の色の、いずれも1ミリ角に切り刻んだものがまぶ
してあった。
だからか、生の鯨肉に「鯨のにおい」も「食感」も私にはなかった。どちらかというと、
何でもない普通の食べ物だった。
海洋民族がヨーロッパ先進文化に合わせようと努力をした結果の変化かも知れなかった。
ベルゲンの漁港には、世界文化遺産がある。ドイツ、フランクフルトの商人が、かつて
棒鱈を買い付けて商売し、産を成した人たちが築いた豪華建造物の名残だが、棒鱈の行き
先は広く西ヨーロッパだったろうと容易に想像できる。と同時に、先進文化人たちのレベ
ルに合わせた調理法や食材も、この地の食感に変化を生じさせたことも想像に難くない。
早い話、日本だって、刺身や寿司が今に残ってはいても、コンペイ糖、カステイラや天
麩羅等々、上流の人たちや貿易に関わる人たちには外来の影響がすこぶる大きい。人が交
流すれば、必ず他の多くの文物も伝来し変化する。それが当たり前の国際的な付き合いで、
それにブレーキを掛けようたって、季節風に衝立を立てようとするドンキホーテの類だろ
う。
今、TPP反対だと、分かった顔をして騒ぐ政治家ほど、自らがドンキホーテを演じている
ことすら知らない。農協(JA)なんか、実は世界の動きを知っていて、働かずとも国のば
らまき銭がもらえる体制を維持したいために、[TPPとはアメリカが日本を従属させるため
の手段]、だと詐称までしている。
(JA=農林中金は、2007年末、サブプライムローンですでに1400億円の損失を出した。
そしてその原因がサブプライムローンであると、愚かにも、気づいてさえいなかった。
これが損失第一位の第一号。第二位第二号は野村證券。
ここも自らの900億円損失をサブプライムによるとは的確に分析できていなかった。
2008年になって、田原惣一郎、TVインタビューで
「日本には影響はないんだが」との前提で、資本主義がつまずき始めたと論評をしている。
だれもそれを否定しないで話をしている。
それくらいぼけていたので、そのツケが今来ている。
TPPは、もはや後進国だってその流れに乗っているのに、日本だけおどおどしてる。加
入したら農業がつぶれるって? もうとっくにつぶれてる。
つぶれてるから農業に銭をばらまいてる。そのばらまきの甘い汁を吸っているアブラム
シのようなJAが、大つぶれする前に喚いているだけ)
もう私はヨーロッパにも行けない。
せめて思い出を楽しもうと、見つけたのが、サイゼリアのイカスミ・スパゲッティー。
掛けすぎると栄養過多になるから、ほどほどに、とは、@ヴァージンオイル、Aパル
メザンの粉チーズ。
これであっさり気味のイタリー味を復元し、赤ワインで楽しい一食。
ワインについても一席。
日本で飲む同ワイン同銘柄でも、現地で飲むと違う。どう違うって、渋み、酸味、甘み、
香り、喉越し。
どっちがいいのって、そんなことは聴くのも野暮。
それを発見した最初はローマのさるホテル。教員研修旅行団体の団長が固すぎて外出を
許さなかったので(そのことがすでに時代遅れ、かつ世間知らず、世界知らず)、ロビー
の傍らのバーで、いっぱいやることにした。もちろん酒はない。12月末、[熱いのを一本
つけて]と言いたい気分。
乏しい語彙のフランス語で、
「白ワイン(le vin blanc)、いい銘柄のを(de la bonne marque )、コップ一杯ほしい
(je voudrais un verre)」
と言うと、承けて蝶ネクタイの中年男性が笑顔で言ったのは、
「ラクリーマ・ディ・クリスティ。オーケー?」
ラクリーマって、どこかで聞いた覚えのある単語だったが、思い出せないまま、
「ダ、コール(いいですよ)」
大きめのガラスコップだった。
清酒のようにすっきりと透き通り、香りも私の知るホワイトワインの澄んだ香り以外に
感じもるのはなかった。
冷たくほどよい甘みで、芳醇な発酵の香りを潜ませていた。
私は、それを10分も掛けてゆっくりとたしなんだ。
飲み終わる直前、ほとんど「アッ」と声を出しそうになりながら、私は思い出していた。
何をか。ラクリーマを、である。
私は下手だがギターをたしなむ。タレガ(Tarrega)の曲に、「Lagrima(涙)」というの
があり、私でも弾ける水準だが、その気高い叙情性は、メロディを記憶に定着していた。
「ムッシュゥ。ス、ノン、デュ、ヴォン、……セ、ラグリーマ、デ、クリーストゥ(ねえ、
君。このワイン、名はキリストの涙)?」
「シー、セニョール」
男性は、目を大きくし、両手をわざわざ広げて<そのとおり>と言ってくれた。
「キリストの涙」はけっして高価なワインでも、手に入れがたいワインでもない。日本で言
えば特級酒でもない。
だが、その清純さは名にふさわしかった。
その夜、快く眠れたのは、キリストの涙が旅行団の不愉快な管理主義を忘れさせ、そのう
え、私にトスカーナの見聞を浄化したからだろう。
日本でもその後、数度、この銘柄はあるか、と店頭で尋ねたことがあるが、名古屋で今ま
で一度だってお目にかかったことはない。
ヨーロッパでよく飲んだのには、スーパーなどでよく買った「carre vigne」だ。
四角柱の箱(箱の牛乳を二つくっつけたぐらいの大きさ)で売られている。その地に滞在
中、例えば三日間で飲もうかと心づもりをして買う。
土地の人たちは、これを卓上に置くか、あるいはピッチャーなぞに移して卓上に据え、夕
食の祈りの後、食べながら飲んでいるのではないか。
私はホテルの部屋に帰って、コップに口を当てながら、テレビを見るなり、日記を書くな
りしていると、知らぬ間に数杯は飲んでしまう。
それくらい「飲んでいる」感じを起こさせないで「飲める」気安さを持っている。
そして、ここからが大事なとこ。
それくらいの気安さの大衆性や庶民性のある無名のワインが、日本で飲む「お値打ちな
ワイン」のように渋みが気になったり、酸味が強すぎたりなどということは、少しもないの
だ。
喉越しがいい。気にならない。毎度ながら、紙箱のワインを飲みながら、日本にもこんな
のがあればいいのに、と思うのだった。
もう一つだけ、これは紹介したいこと。もしお心に残ったら、次のチャンスでお試しあれ。
場所はウイーン。
せっかくウイーンのお話をするのだが、音楽も宮殿も、ここでは触れないことをお断りす
る。
夕べの楽しみはワインケラーへ行くこと。行くのは実に簡単で、街の誰にでもいい。
「'xcuxe me. Is any nice wine keller neae hear(すみません、近くにいいワインケラー
はありませんか)? 」と言いさえすればいい。誰でも気安く教えてくださる。
ワインケラーに入るのに、なんの遠慮も要らない。適当な席に座っていれボーイがきて、
「you want anything(何にしましょうか)?」などと言う。
注文したけりゃすればいい。あるいは、「moment, please(ちょっと待って)」とか言い、
他の客がどうしているかを見定めるのもいい。また、そのうちに楽士たちが来て、ウインナ
ワルツなどを始めるから、彼らの演奏が楽しいかどうかを聞き定めてから、態度を決めるの
もいいだろう。
アコーデオンにギター、時にはバイオリンが入って、ウインナワルツが始まり、卓上には
茹でたウインナ・ソーセージが皿に二本、右端に西洋芥子(マスタード)が付け合わされ、
ワインのピッチャーが正面を占める。
ナイフとフォークで、ほんの少しずつ切っては口に入れ、ワインを品定めしてやるぞと、
口に転がしては飲むうち、心地は半ば歴史を遡ってヨハンシュトラウスとドイツ民族が世を
謳歌した佳境へと、いつの間にやら入って行ってしまうのだが、二晩三晩とそのコースを楽
しんでいるようでは、まだ私のお薦めの段階には達していない。
この宵は、また私にある「欲」と「好奇心」とが新たに芽生えていた。
入ったワインケラーは、やや時刻が早いからか、客はまだ少なかった。着席前に見るガラ
スケースには、今夜、賞味すべき「西洋つまみ」が、誰にも邪魔されずに見えていて、妻と
私は食事を兼ねることができる「西洋つまみ」を決めたとき、ウエイターが傍に来た。
食べる物をオーダーしたあと、もはや外国人としての遠慮もためらいもなくなった大胆な
私は、こう言っていた。
「This evening, I want some kind of special nice drink. ……」
すべてを言わせず、ウエイターは笑みを浮かべながら、
「I offer you a very nice drink. It is called "Strum"」
Strumとは「嵐」を意味するドイツ語である。驚くほど度数のきつい酒かと勝手に理解した。
<まってよ。何度なの?>と尋ねる間もあらばこそ、彼は厨房へと行ってしまった。
<ままよ>と覚悟して座るテーブルに、「西洋つまみ」と小振りのコップに入った「Strum」
とが届けられた。
恐る恐る飲んだ「Strum」は、なんとそれ以後、私の思い出の宝になるほどの美味といわれ
に満ちていた。
葡萄が収穫され、処女の足で踏み潰されてから、新ワインは絞られる。それから「発酵」の
過程に入るのだが、我ら人類が何十万年も共存共栄関係にある酵母菌のすべてが、ウハウハ
の歓喜をぶつぶつの泡の形で表現しているとき、「ちょっと味見を」と横取りしてきたのが、
この「Strum(嵐)」なのだった。
ジュースにしては美味しすぎ、ワインにしては優しすぎ、そして飲み物にしては高貴にすぎ
る。来歴を知れば、その味わいに倍加する貴い価値を口していると実感する。
山かげのワインケラーに、アコーデオンの楽士はいなく、すべてバイオリンとチェロ、ビオ
ラなどの弦楽重奏だったが、
「エイネ・クライネ・ナッハト・ムジーク」の感激も、この飲み物の印象の陰には記憶がかす
れ気味なっていることを告白しよう。
ウイーンのもう一つの「味」はお菓子にあることも、知識としては知っていた。街のショウ
ウインドーには、チョコレート・ボールがテニス球大で転がっていたり、モロゾフとゴンチャ
ロフとが同じ店内で競っているような感があったり、もしクリスマスになれば、どんな豪華な
菓子が店頭に並ぶだろうかと気になるほどのケーキもある。
ショートケーキの種類はいくらあっても「甘い物音痴」的な私には的確に表現すべくもない
が、発見が一つあった。
モンブランとは日本人のよく知るケーキだが、私の連想は、名の由来が「あれ」に違いない
と確信するに至った。
「あれ」とは、アルプスの氷河である。モンブランの上に流れるように載せられる筋状のク
リームは、アルプスの鞍部をにじり下る氷河の象形以外にない。
物の名には、何でもその理由がある。この場合、私は誰に聞き及んだ訳でもないが、今や
確信するに至っている。
** 「グルメじまい(Le Terme de Gourmet)」
[PartU 調理の味] **
は、今、書いている最中、しばし、お時間をください。
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